お金のことで思い出すのは10年前のこと。
ある男性と電車で話していたら、彼の育った家庭の経済事情、借金話などもろもろの話を聞きながら、「わたしはいままでお金に困ったことがないから」と彼に言いました。
ここ数年、何度もこのことを思い出します。
そういうふうに、わたしはそんなこととは関係ないよ、そんなこと経験してないよっていい気になっていると、課題ががーんとやってきます
生きるとは、課題をいかにクリアするかだと思うようになって、そのがーんといった課題も「了解しました!」と多少は思えるようになってきました。これも年を重ねてきたいまだから、そう言えるのもあります。
小学校の頃、勉強もスポーツもそこそこでき、かわいく産んでもらったしとけっこういい気になっていたら(といっても、あとから思い出しての感想であって、当時は当たり前と思っていました)、病気になってからだがだるくてスポーツどころではなくなるし、顔も体型も変わるしという、かなりの課題がわたしのところにやってきました。
10代、20代のこれから我が人生、輝かしい人生を送ろうと思っていたのに、ままならない人生を経験することになります。
このことは自著のアクロメガリー闘病記にも書いています。
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病気とともにやってきたトラウマと四半世紀向き合って、受け入れるようになってきたと思ったら、今度はお金の課題がやってきました。やってきたというよりも、自分で決めていたこととも言えます。
といっても、課題がどうにかクリアできたと思っているだから、「ちょっと一息さえてよね」と思わなくもありません。でも、一緒にやってきてくれなくて、よかったなと思います。
その人が乗り超えられない悩みはやってこないと言われますが、渦中のときはそんなことに思いがいたりません。負のスパイラルばかり考えてしまいがちです。
でも、よくよく考えると、病気になったことで、「中身をみましょう」というとてもすてきな人生のテーマもプレゼントされたのだから、ほんとはよろこばしいことなんです。
さてさて、「お金がないの」と言いながら、旅行にぱっと行ける人はお金がある人なんです。
通帳に100万円あって、1万円減って99万円になってしまって、「お金がない」といって悩む人もいます。1億円貯金がある人が1000万円までになって「お金がなくなった」という人もいます。
原発事故のとき、「危ないんだから、福島から離れた国内や海外に逃げればいい」と言っていた人もいましたが、そういう人たちは、お金、経済にまず、余裕がある人です。
「逃げなさい」といっても先立つものがなければできないのです。
伝える側のマスコミがそれなりに経済に余裕がある人たちだから、そのあたり鈍感だと思います。政治家たちもそうです。
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わたしも、もろもろ未払いなんて考えられないという暮らしをしていました。
不動産を持ちたいとか、光りもので着飾るという欲望に走ることはなかったですが、旅費のことを考えず、行きたいところに出かけていました。贅沢をしたいと思ってもいないけど、ほしいものも手に入れていました。おひとりさまの気楽さもあったとも思います。
お金に関して、わたしは、すごい贅沢をしたとも思っていないけど、公共料金、税金、家賃の滞納などから、お金のことを経験させられて、いろいろと痛感しました。
何事も体験主義のわたしですが、そんなところまで体験すると思わなかったし、できれば体験したくなかったけど、体験してみないとわからない人には体験させられるようにカリキュラムがあるのでしょう。つまり、人は経験してみてわかるというのが直結の道なんです。
政治家の人たちには、ワーキングプアといっても知識の部分だけだろうと想像します。政治資金とかそういうお金のはなしには、想像力豊かなわけです。
もちろん経験しなければわからないとも言い切れません。その人の人生にお金の課題(たとえば貧困という形)がないのだったら、経験はしなくてすみます。
だから、他者に対して(他者という中に、わたしは自然も含んでいます)、いかに想像力を持てるか。その想像力は、体験することで豊かに広がっていきます。
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だから、想像力を豊かにするために、国会議員は、早朝の満員電車に乗って通勤したらいいと思っています。あのストレスを体験することで、かなりの鈍感さでなければ感じることがあると思うからです。
お金のはなし、体験談はいろいろあるのですが、まだわたしは発展途中なので、いまは話せることはこのくらい。
お金の課題に向き合って、必要なお金はきちんとやってくるということもわかったところがあります。このあたりのことは、うまく表現できないけれど、でも、そういうことなんです。
その前に、原因があって結果なんです。
必ず、そこにいたるには原因をつくっている自分がいます。
これは、お金だけではなくすべてすべて。
2012年は、経済のより健康を目指しています。
そして、たいへんな経済状況のとき、将来どうなるかわからないわたしに援助してくれたみなさんにお返しすること--。
迷惑もいっぱいかけてきて、時間もかなりかかっているけれど、商才がないわたしに「投資」してくれたみなさんに、金銭的なことはもちろん、自分ができるお礼、お返しを考えているところ。
わたしに投資してくれた方々はかなりのギャンブラーです まずは、そのみなさんのために動いていきます。あしながおばさんの夢は、その後です。
そのようなことも、徐々に考えられるようになってきました。
そして、「感謝すべき人たち」の名前を書き出すと、自分ひとりで生きていないということがと~ってもよくわかります。
そう思えるようになったことは、感謝という、またまた人生のテーマをプレゼントされたということなのでしょう。こちらはまだまだ進行形だけど、そういうことなんです。
病気、借金に出合っても、何かプレゼントももらっているんです。自分から逃げたら追ってきます。「はいはい、わかりました」くらいの気持ちからでも、1ミリでも前に進むとその課題もいつの間にかどこかに行ってくれていることもあります。
超えたくない課題はいろいろありますが、超えられない課題はありません。そう思いながら、「いま」を生きていきましょう。大丈夫ですよ。
今日は、ちょっと気合いを入れて、書いてみました。
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