壬辰年元旦の洗礼 と 壬辰の乱の予感?
壬辰年、明けましておめでとうございます。
グレゴリオ暦23日の元旦は、大荒れが予想される壬辰の2012年にふさわしい自然現象の洗礼を受けました。
12:59 太陽で M8.7のフレア爆発。
フレア爆発の規模は、小さい方から、A、B、C、M、Xクラスで、
MやXクラスは通常、太陽活動11年周期の活動極大期に発生しやすい。
サイクル23の極大期は、2012〜13年。
「 壬辰の年、2012年とは?」 の太陽黒点のサイクルグラフを参照。
時間はグリニッジ標準時(UT)。 日本時間は、+9時間。
以降太陽関係は全てUT表示です。
19:30 東京では季節はずれの凄まじい雷。
丁度買い物に出かけようとして外に出た途端、雷の大音響が轟き、
あたり一面が白くなるほどだった。
和暦二十四気節:春分の末候(3月30日)に「 雷乃ち声を発す 」と
あるように、例年であればこの時期に初めて雷が鳴る。
20:45 福島沿岸深度50kmで M5.1、震度5の地震。
東京は震度3の揺れ。
21:00 東京で雪が降り始め、6年ぶりに5cmの積雪に。
出典 : SANSPO.COM
太陽フレア爆発・雷・地震・雪、と4重奏の東京でした。
特にフレア爆発のせいで、24〜25日にかけて、判明しているだけでDoCoMo、SoftBank、WiMAXに通信障害が発生。DoCoMoは機械切り換え時に生じた不具合と、雪による鉄道の運行の乱れから通信量が増えたせいとしていますが、時間帯その他を考慮すると太陽風とそれに伴う磁気嵐の影響によるものと考えられます。
エジプトの主要輸出品は何ですか
ノルウェー23日のオーロラ Bjørn Jørgensen氏撮影
前回のサイクル22の極大期(1999〜2002年)の際、Xクラスが頻発しましたが、幸いにしてほとんどすべてが爆発の吹き出しが地球とは別の方角を向いていたために地球では被害は殆どありませんでした。
が、今回はMクラスにもかかわらず、地球にもろに向かったため、様々な影響が出たようです。
NASAとESAの太陽観測衛星SOHO : LASCO C3 による1月19~25日のムービー
1月19~25日のCME(コロナ質量放出)の内惑星系への拡がり
左の図の右90°(3時の方向)にある黄色い丸が地球
CMEが24日頃から徐々に地球に到達する様子が覗えます。
ところで、新年の儀といえば、宮中の歌会始め。
今年のお題は「 岸 」で、12日に皇居の宮殿 松の間で開催されました。
◇ 天皇、皇后両陛下や皇族方の歌
天皇陛下
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
皇后陛下
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
皇太子殿下
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
皇太子妃雅子さま
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
秋篠宮殿下
湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影を見つつ人ら嬉しむ
秋篠宮妃紀子さま
難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる
眞子さま(秋篠宮家の長女)
人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり
常陸宮さま
海草(うみくさ)は岸によせくる波にゆらぎ浮きては沈み流れ行くなり
三笠宮妃百合子さま
今宵(こよひ)揚(あ)ぐる花火の仕度始まりぬ九頭竜川の岸の川原に
なぜトラックを運転?
天皇・皇后の歌の一般的な意味は、天皇陛下は311の被災地:岩手県を見舞った際に、ヘリコプターで上空からから見た津波被害の印象を詠んだものとされ、皇后陛下は津波で行方不明になった人々や、戦後の外地からの引き揚げ者、シベリア抑留者などを待つ家族らの姿を「岸」に重ねて詠んだもの。と、報道されています。
上記の方々の中では、ほとんどの方が311被災地に何らかの関連を持つ中で、三笠宮妃の越前:九頭竜川が目を引きます。
また、皇太子殿下の歌の異様さも目を引くところです。
さて、毎年の歌会始めの歌には、一般的に解釈される表の意味よりも、裏の意味に重要なメッセージ性があると言われています。天皇家のその年の方針が示されていたりするからです。宮中に近く、事情に詳しい方の見立てによると、今年の歌は「 平成の壬申の乱 」を詠んだものとのこと。
「 壬申の乱 」とは、天智天皇崩御後の672年に起きた、天智天皇の皇太子:大友皇子と、天智天皇の弟とされている大海人皇子(後の天武天皇)の間で起きた天皇家・日本を二分した内戦とされています。 国内の史書で記録されている内容はご存知のように、圧倒的に少数・劣勢だった大海人皇子が尾張・美濃の豪族を仲間に引き入れ、琵琶湖の大津で近江王朝軍を撃破して大友皇子は自決。大海人皇子は、都を近江から飛鳥浄御原宮に遷都して天武天皇として即位しました。
「 伯家神道が予言する 2012年 天皇家の終焉 」 でも引用したデヴィ夫人がブログでぶち上げた 「 現皇太子を廃嫡『皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲』署名運動 国民は我慢の限界 」 にもあるように、現在、浩宮殿下と秋篠宮殿下を巡って、あるいはその次を巡って政府内、或いは巷間でもいろいろと話題になっています。
しかも今年は「 壬申(じんしん)の乱 」と字は違えど同じ「 じんしん(壬辰)」の年。
陛下・殿下の詠まれた歌からもまさに「 壬辰の乱 」の渦中にある各人の立場が鮮明に表れています。
先の宮中事情に詳しい方の解釈によると
天皇陛下
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
待てども一向に動かない(訪れない)海=皇太子を憂う。
皇太子のバックボーンは海軍(海上自衛隊)と海洋国家のイギリス王家。
秋篠宮は、陸軍(陸上自衛隊)と大陸国家の旧ハプスブルグ家。
と、云われています。
420-23 420-35 420-39 420から46アリ疲労
皇后陛下
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
息子:浩宮が自分の元に戻ってくるのを待ちわびているが、戻り来る岸はもうないのだろうか。。。
皇太子殿下
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
八甲田山は日露戦争直前の1902年、日本陸軍が雪中行軍の演習を行い、吹雪に遭遇して210名中199名が死亡した場所で、今でも行軍の靴音が時々聞こえると云われている日本陸軍怨念の地です。 自分を脅かす陸軍勢力が黒く大きく見える情景を詠ったものとされています。
秋篠宮殿下
湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影を見つつ人ら嬉しむ
自分の足元には湧水が湧き、魚影(人々)が集い楽しんでいる。
皇太子妃雅子さま
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
まだ寒いこの時期、福島県仁田沼には水芭蕉が美しく静かに咲いている。
秋篠宮妃紀子さま
難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる
大変な日々を、海の人と陸の人たちが同じ思いをたずさえて生きてほしいものだ。
と、このような解釈がなされているようです。
また、今年の召人(めしうど:天皇に召されて歌を詠み上げる人)が、セゾングループの総帥で詩人・作家の堤清二さんだったことも、西武復活の予感を匂わせているのかもしれないそうです。
更に、政治的メッセージ性の高い演目を出すことでも有名な宝塚劇場の今年の最初の出し物が、
「 エドワード8世 」。
イギリス:現ウィンザー朝初代国王:ジョージ5世の長男として1894年に誕生。
1931年頃より、アメリカ人で離婚歴のある人妻:ウォリス・シンプソンとの間の「 王冠を賭けた恋 」が始まるが、時あたかもヒットラーのナチス台頭の時期。イギリスとは戦争をしたくなかったヒットラーのナチスとイギリス側ではボールドウィン首相やチェンバレン首相などが同盟を組む動きもあり、シンプソン夫人はナチス側のスパイとしてエドワード8世の元に送り込まれてきたとも云われています。しかし、イギリス王位を継いだ1936年、ボールドウィン首相に退位を迫られ、12月、BBC放送で
私が次に述べることを信じてほしい。
愛する女性の助けと支え無しには、自分が望むように重責を担い、
国王としての義務を果たすことが出来ないということを。
But you must believe me when I tell you that
I have found it impossible to carry the heavy burden of responsibility
and to discharge my duties as King as I would wish to do
without the help and support of the woman I love.
という退位文書を読み上げ、イギリス海軍の軍艦に幽閉されるかのようにフランスへと渡り、シンプソン夫人と結婚したのです。
この1936年、ドイツではベルリン・オリンピックが開催され、日本では226事件が勃発。二・二六事件は、一般的には帝国陸軍皇道派の青年将校たちによる「 昭和維新断行・尊皇討奸 」を掲げたクーデター未遂事件とされていますが、実際は昭和天皇を廃し、弟:秩父宮を新天皇に据えるクーデターでした。この件については機会があれば触れたいと思います。
イギリス国王はこの後、弟のジョージ6世が継ぎ、1952年、娘のエリザベス2世へとウィンザー王朝は引き継がれていきます。
さて、デヴィ夫人に代表される、皇太子浩宮殿下は、皇太子位を譲り、スイスで雅子妃・愛子さまと幸せに暮らすのが良い。とする声が大きい中で、実は雅子妃は密かに巫女修行を修養し、かなりの能力を持つに至っている。皇太子の山登りも実は修験道の鍛錬だったとの声も聞かれ、今年壬辰の年は果たしてどのように展開していくのでしょうか?
何はともあれ、ホワイト・ニューイヤーデイの後は、太陽フレア� ��お陰でポカポカと陽気な日が続いています。
今年もどうぞ、よろしくお願いします。
.
0 件のコメント:
コメントを投稿